※過去投稿の再掲載です
対馬病院小児科の東村です。私が育った町(加津佐町)には小児を専門とする病院もクリニックもありませんでした。
小学生の頃に同級生が病気で亡くなったこと、友達が体調を崩したときに何もできなかったことが医療、特に小児科へ興味を持ったきっかけでした。医学部での実習や卒後研修で様々な診療科を経験し、どの科も魅力的に感じて迷った時期もありましたが、最終的に子どもが好きだったこと、自分がつらい時に励ましてくれたのは子ども達からの手紙だったこと、心から身体まで幅広く総合的に診ることに魅力を感じたことが小児科を選んだ理由でした。
実際に働いてみて、ぐったりしていた子達が笑ってご飯を食べるようになったとき、不安気に来られたご家族が安心した様子で帰っていくとき、この上ない喜びを感じます。緊急帝王切開で夜中に呼び出しを受けても、生まれた赤ちゃんが必至に生きようとする姿を見ると眠気も吹っ飛んで私も頑張ろうと励まされます。
「離島に子どもっているの?」と冗談で言われることがありますが、離島にも子どもはいます。そして、本土の子ども達と同じ医療を受ける権利があり、小児科は必要とされています。離島における小児科の仕事は、一般外来や入院管理だけでなく乳児健診、予防接種、学校健診、各学校での健康講話など院外活動も多く、保健師さんや学校の先生方と関わる機会も多いです。
また、離島で解決できない症例については本土の病院と連携しながら診療を行います。様々な視点から子ども達の健康をサポートし、子ども達の成長を近くで見守れることにやりがいを感じます。
小学生の頃に同級生が病気で亡くなったこと、友達が体調を崩したときに何もできなかったことが医療、特に小児科へ興味を持ったきっかけでした。医学部での実習や卒後研修で様々な診療科を経験し、どの科も魅力的に感じて迷った時期もありましたが、最終的に子どもが好きだったこと、自分がつらい時に励ましてくれたのは子ども達からの手紙だったこと、心から身体まで幅広く総合的に診ることに魅力を感じたことが小児科を選んだ理由でした。
実際に働いてみて、ぐったりしていた子達が笑ってご飯を食べるようになったとき、不安気に来られたご家族が安心した様子で帰っていくとき、この上ない喜びを感じます。緊急帝王切開で夜中に呼び出しを受けても、生まれた赤ちゃんが必至に生きようとする姿を見ると眠気も吹っ飛んで私も頑張ろうと励まされます。
「離島に子どもっているの?」と冗談で言われることがありますが、離島にも子どもはいます。そして、本土の子ども達と同じ医療を受ける権利があり、小児科は必要とされています。離島における小児科の仕事は、一般外来や入院管理だけでなく乳児健診、予防接種、学校健診、各学校での健康講話など院外活動も多く、保健師さんや学校の先生方と関わる機会も多いです。
また、離島で解決できない症例については本土の病院と連携しながら診療を行います。様々な視点から子ども達の健康をサポートし、子ども達の成長を近くで見守れることにやりがいを感じます。
自分が関わった子達が成長して子どもを作り、またその子達と関わっていく、そうやって人と人とのつながりを実感できるのは小児科ならではだと思います。
皆さんも一緒に小児科でこの喜びややりがいを感じてみませんか。
長崎県離島医療医師の会(もくせい会)では
多くの医師が活躍しています
長崎の離島医療を担う若手を育成する医師、総合医や専門医として情熱を持って医療を実践する医師、また、豊かな自然や人の優しさのある環境でやりがいを感じている医師など、長崎県離島医療医師の会(もくせい会)では多くの医師が活躍しています。


















